2017年11月1日水曜日

あきらめないことは大切だけれども、それを執着にはしない

医学博士、帯津良一氏の心に響く言葉より


がんの治療にこころの在り方がとても重要な意味をもっていることは、もう私にとっては確信となっています。

そして、こころの在り方のひとつである「あきらめない」気持ちは、間違いなくプラスに働きます。

ところが、あきらめない強い気持ちをもってがんに立ち向かっている人は経過がいいかといえば、決してそうとは限りません。


はてさて、これはどういうことか、私は迷路に迷い込んだような気持ちになってしまいました。

そんなとき、カール・サイモントン博士というがんの心理療法の大家が病院を訪問してくれました。

そして、患者さんのために、講演をしてくださることになったのです。


サイモントン博士が考案し、世界各国で指導してきたサイモントン療法という心理療法は、こころの治癒力を高めるとても有効な方法だと私も高く評価しています。

「がんという病気を乗り越えるには、絶対に治っていくという信念がないとダメです」

と、博士は患者さんにやさしい笑顔を交えて話しかけました。

つまり、あきらめない気持ちです。

しかし、ここで話が終わってしまえば、私にとっては、肩透かしを食らったようなものです。

その先を私は知りたいのです。


博士は、私の期待にこたえてくれました。

「でも、この信念が強すぎると、執着となって良くないのです」

なるほど、です。

諦めない気持ちと執着か。

何か光が見えてきた気がしました。

しかし、あきらめない気持ちと執着とは、どこで線引きしたらいいのでしょうか。

私がそう思っていると、ひとりの患者さんが手を挙げました。


「どこまでが信念で、どこから先が執着ですか?」

私はにんまりしました。

さて、サイモントン博士はどう答えるのか。

何ともスリルのあるやり取りです。


博士はこう答えました。

「治るんだという気持ちはいくら強くてもいいでしょう。でも、その脇の方でいいですから、いつでも死ねるという気持ちを持ってほしいのです」

患者さんの中からは、「そんなことはできません」という声も上がりましたが、私は100点満点の答えだと感心しました。


できるかどうかはともかく、あきらめない気持ちの脇に、いつでも死ねるという覚悟を決めることは、甘い食べ物に塩をひとつまみ加えることで甘みが増すようなもので、生命力をアップさせるのかもしれません。

あきらめないことは大切だけれども、それを執着にはしない。

この塩梅(あんばい)が生命力の鍵を握っているようです。



常日頃お客様とお会いして思うのは、あまり“健康”というものに意識が強すぎると
病気を近づけてしまうような気がしています。

その裏に、健康を失うことへの恐れが見え隠れする・・

きちんとケアするけど、あとはケセラセラ・・という人のほうが、
実際にはいつまでも元気でいらっしゃいます。

何ことも過ぎたるは・・でしょうか。

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